麻賀多神社氏子

野狐台町は、弥勒町の南端に位置する町で、佐倉藩主 大久保忠朝時代の佐倉絵図(小田原市立図書館蔵)には八子台、稲葉正知時代の佐倉城府内之図(佐倉市蔵)にはヤコタイと記載されており、稲葉正知が狐が踊る台地というのは文字が悪いので天神小路と呼ぶようにいわれましたが、定着しなかったようです。

その後、堀田正愛時代の佐倉城絵図(佐倉市史付図)には白狐台。大久保忠朝時代には先手組長屋・持組組長屋、松平乗邑時代には足軽小屋があったとされています(「佐倉城絵図」篠丸家蔵)。

江戸時代後期には野狐台と称されており、野狐を「ノギツネ」と読まず、「ヤッコ」と読むのは、足軽や「奴(やっこ)さん」身分の人たちが多く住んでいたことからのようです。また、佐倉藩の薬草園として拓かれ、梅林が広がり藩主の茶室もありました。

初代の御神酒所は町の人たちの手で作られたといわれており、二代目は昭和26年に制作され現在に至っています。

鬼板は雲に「や」の一文字、懸魚は「松に鶴」、障子には「月と狐」の彫刻が施されています。囃子台の水引幕には「や」の的をかたどった二重丸が染め抜かれています。

野狐台町の御神酒所に麻賀多神社の大神輿が掛けられている
野狐台町 懸魚「松に鶴」
野狐台町 狐のお面