愛宕神社氏子
田町は、鹿島川の西側に位置する町で、築城に伴い鹿島台にあった郷村が移転させられてできたという言い伝えがあります。そのため、新町六町よりも起源が古いと考えられています。江戸時代から紺屋、仏師、鼈甲細工、塗師、馬具屋などの職人が多く住んでいたようで、茶屋も多く存在し、宿場町としての役割も果たしていました。
明治に入ると陸軍が駐屯し、町はさらに繁栄しました。
また、御神酒所が組ごとに三台あったという言い伝えも残っています。三代目の御神酒所は昭和の中頃に制作され、鉄の車体に鉄の車輪を備えていました。
現在では大規模な改修が実施され、車体部分は田町伝統の鉄骨を採用しています。車輪やかじ棒も鉄製であるため、操縦性が良く小回りが利くのが特徴です。また、後輪には油圧ディスクブレーキを採用し、安全性を高めています。
屋台の台輪は波を基調とした彫刻で、左面には波にシロチドリ、右面には波にウサギの彫刻が施されています。懸魚(げぎょ)には「雲と鶴」および「波に亀」の彫刻があしらわれています。さらに、欄間部分にはさまざまな彫刻が刻まれており、これらの彫刻は田町在住の彫刻師がデザインから制作までを担当しています。
愛宕神社
愛宕神社は、海隣寺町鍛治作に鎮座し、御祭神は『軻遇突智命』(かぐつちのみこと)(「火産霊命」ほむすびのみこと)で、田町の氏神様として崇敬されています。もともと佐倉城の椎木曲輪内にあり、円正寺と隣り合っていましたが、明治元年に陸軍省の用地として接収されました。その後、城内にあった五社神社、稲荷神社、疱瘡神社などとともに、現在の地に遷座しました。
『古今佐倉真佐子』には、「愛宕はかちう(甲冑)にて馬に召したるさいしき(彩色)木像也」と記されています。現在でも、鎧を身につけて馬に乗った武人のお地蔵様が安置され、地域の人々に敬愛されています。


